探求 現代の国語/探求言語文化 付属教材・資料見本
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解説1の問いを踏まえて、七九ページ「︿知﹀の深化」の問いについて考えてみよう。読解答解説神様「深めよう」の設問では、発展的な読み取りを行ったうえで、もとの評論教材の「〈知〉の深化」の設問に取り組みます。る神様の恩恵を施してあげたいという思い。 「くま」はなぜ「神様」ではなく、「熊の神様」と言ったのか。それはおそらく「くま」には熊の神様がいて、「わたし」には人間の神様がいることを、はっきり意識していたからである。「くま」は「わたし」を散歩に誘い、弁当を食べ、昼寝をした。「わたし」は、「くま」の要求に従うだけでなく、自分からも干し魚作りに協力し、帰り際には抱擁を交わしさえした。しかし、「くま」と「わたし」は信じる神様も違えば、有している習俗や文化・体質的な特徴もまったく違う。事実、抱擁を交わしたときに「わたし」が「くま」に感じるのは人間とのあからさまな違いである。異なる世界に生きる者どうしが、互いを理解し合うことの難しさを、それぞれ信じ、大切にする、世界観や習「わたし」はつくづく感じたであろう。本文では異世界からやって来た者を「くま」に設定しているが、この「くま」を別のものに置き換えて読むことは少しも難しくない。「くま」を外国人、年齢差のある人、政治的信条の異なる人、宗教的信条の異なる人に置き換えた場合、本文はリアルな問題を我々に突きつけるだろう。実際、「わたし」と「くま」のように、世界観の違う者同士が、できる限り相手を受け入れる努力をしながら、生活を営み、類も丁寧に洗い、「わたし」に紳士的に振共同で作業するという場面は、現実にしばしば直面することである。いや、極言すれば、この世界のすべての人間は皆世界観・行動・体質的特徴の違うものであり、どれほど似たような環境に属する人間どうしであっても、共同生活・共同作業を少しでも行えば、早晩互いの世界観や振る舞いの違いを嫌というほど思い知らされるはずだ。「くま」もその難しさを理解しつつ、それでもやはり、「わたし」に熊の神様のお恵みを施したかったのではないか。 「神様」というタイトルの意味慣、文化、信条。そのように解釈した根拠世界観や習慣、文化、信条を持って生きている「くま」と「わたし」が、ともに一日を過ごすため、そういった互いの違いを尊重し、受け入れようと努力していたから。「くま」は、「周りに対する配慮」を欠かさず、魚の調理も器用にこなし、食器人々が    それぞれ別の教科書(八〇〜八五)る舞う。しかし、その一方、魚やオレンジの皮への衝動を抑え切れず、本能的な行動を露呈するという過ちも一度ならず犯してしまう。人間の生活スタイルを受け入れようと必死に努力はしているが、時折クマの本性が表れてしまうのは、いかんともしがたい。「わたし」もそれに気づいているだけに、別れ際に「くま」から抱擁を求められたときには、やはり緊張感があったのではないだろうか。今のところ、対人間的に問題を起こしているという事実は認められないから、いきなりがぶりという可能性は低いものの、完全にその可能性が0であるという保証はどこにもない。もしこの小説の登場人物が「くま」ではなく、人間の男性との初めてのデートにおける人間の女性の緊張感を描くだけの小説だったとしたら、互いのよって立つ世界観の違いは、これほど鮮明にならなかっただろう。また、宗ていたかも「しれ深なめい。る「熊手のが神様か」とりい」のう解答例と、解答を導くた見当がつかなめい「の神解様」説だをった示かしらこまそし、た。評論Ⅱ〈知〉の深化世純界化観すのる違こ「うとの者に読成ど内みう功容しし取たの理ろ共の解存でうへあを」のるの確。祈り設認を問しでまはす、。まず本文について教客的観な的深色な彩視めが点る強で手まのっ読がてみかしのりまやっりたに場く合さはが、出29深めよう 2*現代の国語 指導資料(〈知〉の深化―小説)

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